沿革・歴史
西暦(和暦) | 月 | 出来事 |
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1967(昭和42) | 3月 | 日本学生野球協会および日本社会人野球協会(現・日本野球連盟)が、日本を代表するチームの国際野球大会への参加、またはこれの開催のために、その共同付属機構として「日本アマチュア野球国際委員会」を設置 |
1980(昭和55) | 8月 | アジア地域初の世界アマチュア野球選手権大会を開催 |
1984(昭和59) | 8月 | ロサンゼルス・オリンピックで金メダル獲得(野球は公開競技として実施) |
1986(昭和61) | 10月 | IOC総会において、1992年バルセロナ・オリンピックから野球が正式種目となることが承認される |
1988(昭和63) | 9月 | ソウル・オリンピックで銀メダル獲得(野球は公開競技として実施) |
1990(平成2) | 3月 | 「日本アマチュア野球国際委員会」を発展的に解消 |
6月 | 「全日本アマチュア野球連盟」 発足 JOCに加盟 武田豊が全日本アマチュア野球連盟初代会長に就任 |
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1992(平成4) | 6月 | 廣岡知男が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
8月 | バルセロナ・オリンピックで銅メダル獲得 | |
1994(平成6) | 4月 | 第1回 全日本野球会議開催、共同声明を発表 |
1995(平成7) | 9月 | 第19回アジア野球選手権 優勝 オリンピック出場権獲得 |
12月 | プロアマ合同事業として第1回指導者講習会を実施 | |
1996(平成8) | 8月 | アトランタ・オリンピックで銀メダル獲得 |
9月 | IBAFが国際大会の出場選手規程を改正。プロ選手の出場が可能に。 | |
1998(平成10) | 4月 | 全日本野球会議の分科会として、オリンピック選手編成委員会、国際交流委員会を設置 |
1999(平成11) | 5月 | 山本英一郎が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
2000(平成12) | 9月 | シドニー・オリンピック 4位 |
2004(平成16) | 8月 | アテネ・オリンピックで銅メダル獲得 |
2005(平成17) | 5月 | 松田昌士が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
7月 | IOC総会において、2012年ロンドン・オリンピックから野球が正式種目から外れることが決定 | |
2007(平成19) | 6月 | 長船騏郎が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
2008(平成20) | 5月 | 松田昌士が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
8月 | 北京オリンピック 4位 | |
2009(平成21) | 5月 | 松前達郎が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
2010(平成22) | 3月 | 八田英二が全日本アマチュア野球連盟会長に就任 |
2013(平成25) | 4月 | 一般財団法人全日本野球協会設立(全日本アマチュア野球連盟より移行)、 全日本軟式野球連盟が加盟、八田英二が全日本野球協会 初代会長に就任 |
5月 | 一般社団法人日本野球機構(NPB)と共に「野球日本代表マーケティング委員会(JBMC)を設立 | |
11月 | 野球日本代表『侍ジャパン』の全世代結束式を開催 | |
2014(平成26) | 2月 | 野球日本代表マーケティング委員会(Japan Baseball Marketing Committee)を、 野球日本代表マネジメント委員会(Japan Baseball Management Committee)に改称 |
11月 | 日本がはじめてWBSC世界野球ランキング1位となる | |
2015(平成27) | 4月 | アマチュア野球規則委員会による公認審判員の資格制度が始まる |
6月 | 市野紀生が一般財団法人全日本野球協会会長に就任 | |
2016(平成28) | 5月 | 日本野球機構とともに「日本野球協議会」を設置、第1回幹事会を開催 (全日本野球会議は解散) |
8月 | 野球・ソフトボールが東京2020オリンピックの追加正式種目として採用が決まる | |
2018(平成30) | 5月 | 山中正竹が一般財団法人全日本野球協会会長に就任 |