愛された監督、国際野球の友、前田祐吉氏逝去
(アジア野球連盟、全日本野球協会、英文ウェブサイト記事訳)
慶応大学野球部・元監督、アジア野球連盟・元事務局長の前田祐吉氏が2016年1月7日肺炎のため川崎で死去された。享年85歳。前田氏は
慶応大学卒業後、短期間社会人野球でプレーを続けたが1960年に29歳の若さで名門の慶応大学野球部監督に就任、5年間勤めた後1982年から1993年まで再度監督として指揮をとった。監督在任中、同氏は東京六大学リーグで8回優勝、全日本大学野球選手権で2回、そして明治神宮大学野球選手権で2回覇者となった。
慶応大学の伝統である「エンジョイ・ベースボール」の信奉者であり実践者でもあった前田氏は勝利至上主義を排し、学校教育が学生野球と不可分の関係にあることを重視した。著書「私と野球」の中で、同氏が監督在任中の選手は、1/2年の留年者も居たが全員が中退することなく卒業していと誇りをもって回想している。
慶応大学監督を退任後、前田氏は日本アマチュア野球連盟(現・全日本野球協会)の選手強化委員会委員長、
その後1997年故・山本英一郎氏会長のもとでアジア野球連盟時局長に就任し、2006年カタール・ドーハでの第15回アジア競技会を最後に、役職を退任した。
在任中、同氏はアジア野球連盟加盟20ヶ国/地域(現在24)、特に途上国と緊密な関係を構築した。アジアの強豪、韓国/台湾/中国も同氏の活動を支援した。役柄上、同氏は大会前の球場視察、大会運営などに従事しインドネシア・ジャカルタ、インド・チャンディガラ、泰国・バンコクなどを歴訪した。又大阪でのアジア競技会に初参加するモンゴルの高校代表チーム指導のためウランバートルにも足を伸ばした。同氏の指導を受けた国々はスリランカ、ミヤンマーも含まれる。同氏はアフリカなど多くの国々にボール、バット、中古の野球道具を贈る活動も主導した。これらの経験を通じて同氏は野球がオリンピック競技として復活し、国内競技連盟から内外の活動に対する資金援助を受けるようになることが必要であると痛切に感じることになった。
2006年7月には王貞治氏が理事長の世界少年野球推進財団の第17回世界大会が北海道で行われた際の大会実行委員長を務め、志太勤氏が会長の日本KWB野球協会の顧問も務めた。2013年4月、東京で開催されたアジア野球連盟総会に於いて前田氏の貢献が正当に評価されたことを示す連盟会長賞を受賞した。
告別式は喪主・長男の章氏により2016年1月16日に東京で執り行われる。
以上