2014-03-14

故ロッド・デドー氏が国際野球連盟創立者クラブ入り
国際野球連盟が野球界のリジェンド、元南加大学、米国オリンピック代表チーム監督のIBAF創立者クラブ入りを決定


2014年3月14日(金) By IBAF© @IBAF_Baseball

ローザンヌ(スイス)-- 故ロッド・デドー監督(1914-2006)が今回加わったIBAF創立者クラブのメンバーには水野正人、ピーター・オマリー、王貞治の各氏もその名を連ねている。
"今回の栄誉はロッド・デドーが米国のアマチュア野球に残した多大の功績のみならず、世界の国際野球隆盛に道を開いた偉大なレガシーであることを認めたものである。"とUSA ベースボール専務理事のポール・セイラーは語った。"我々は米国代表チームの偉大な大使のひとりがこの名誉あるクラブに入ったことを誇りに思う"
国際野球連盟創設の6年前、1932年ロスアンゼルス・オリンピックのボランティアであったデドーは野球をオリンピック競技に加えることを心に描いていた。
その32年後にデドーは1964年東京オリンピックの公開競技として野球が加わった時、米国オリンピック野球チーム結成の責任者となり、1972年に日米大学ワールドシリーズを創設した。
同氏は生涯を通じて国際野球の発展の先頭に立ち、1984年ロスアンゼルスで野球が初めてオリンピックに参加するため尽力すると共に、米国オリンピック野球チーム監督としてドジャースタジアムで銀メダルを獲得した。
1984年オリンピックでの評価を踏まえて1986年に国際オリンピック委員会は1992年以降野球を正式競技として承認し、これが2008年北京オリンピックまで続いた。
"ロッド・デドーは国際野球を発展させて真のパイオニアであった。彼が世界中に持っていた友人との繋がりなしには1986年に国際オリンピック委員会が正式競技として認めるに至らなかった。彼と多くの機会で一緒に働けたのは幸せであった。" と前ロスアンゼルス・ドジャーズ会長(1970-1998)のピーター・オマリーは述べた。
世界野球ソフトボール連盟共同会長のリカルド・フラカーリはロッド・デドーの功績により今回の栄誉に至ったことを次の様にコメントした。
"1984年のオリンピック以降、世界に於ける野球の拡がりは、当時の加盟連盟54ヶ国から120ヶ国と2倍以上となっている。"とフラカーリは述べた。
"今日の野球の隆盛はロッド・デドーの生涯を通じての貢献、精神力、世界的ビジョンなしでは実現しなかったであろう。彼こそオリンピック・ムーブメントの力を認識し野球をその一部に加えた真の野球大使でああった。IBAFはこのことを称え故ロッド・デドーを創立者クラブに加えることはむしろ義務であると考える。
--そして我々は彼のビジョンを推し進め、彼のレガシーを次代に伝えなければならない。"
デドーは南加大野球チームのヘッド・コーチを45年間務め、多くの学生アスリートを世に送り出し、多数のスター選手を育て米国選手権で11度優勝した。ベースボール・アメリカと大学野球はデドーを"世紀の監督"として表彰し日本政府は1996年に同氏を勲四等旭日小綬章を叙勲した。
貧困地域での若者の野球・ソフトボール支援を目的に、同氏の遺志を継いでロッド・デドー基金が作られている。
2014年2月16日、ロッド・デドーが存命であれば100歳の誕生日の前日、南加大野球場に等身大のデドーの銅像が建立された。






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